神仏の「メカニズム」を科学的に語ると…な講演

よく「宗教的なんちゃらを科学が証明しつつある」みたいなあおりを、ドヤ顔で語るスピ系の方がいますが、その言葉自体に「科学>>宗教」という白旗を上げてる図式が透けて見えます。何をドヤってるのか不明な、とても痛々しい絵面です。エセ科学を騙るタイプのanti-vax(ワクチン忌避)層にもよく見られました(私は、「科学的に忌避は誤りだが信条的に忌避する」と表明する意思決定は尊重します。が、そこに「科学」が欠けることは理解しておかないと)。

きちんと科学リテラシーを獲得した上で、「その先に」仄見える宗教や精神世界に触れるというのは、とても豊かな時空だと思います。この豊かさを世界のエリートの多くは持っています。合理と超合理のバランスは、21世紀のリーダーシップに大事な要素だと思うので、セミナーでも少しずつ話したいと思っており、その第1回が先日に香川会場と愛媛会場とで主に経営者向けに行われました。とてもよいフィードバックを頂き嬉しかったです。

よく言われますが、「宗教を持たない」こと自体を欧米やアジアのエリートたちが嫌うという時代ではありません。「無宗教」な人たちも大勢います。ただ、「よく分からんが宗教は怖いので考えないようにしている」としたり顔で発言する日本人リーダーが理解できないだけです。最低でも、教養の一部として知るところからスタートしたらよいと思います。

特に、X世代の我々にとっては「寿命」という言葉がぼちぼち現実味をもって考えられる年齢ですし、「自分の死」を前提に次世代へ何を残すかも考え始めるため、x.y.z. coachingでは、「executiveコーチング」プランにこの側面をごっそり入れるというちょっと変わったことをしています。

セミナーの前半は、認知神経科学の最新研究で見えて来た、「『自我』という、脳のでっち上げた超便利なしくみ」や、相対性理論と量子力学が見せる「時空間」の概念や時間の認識が、仏教の「三法印」にある「諸行無常」と「諸法無我」を彷彿させる、という辺りを説明して、その上で、科学にとっては「観察する意識」が鍵になる、という点を確認します。

後半では、その「意識」と「independent」か「inter-dependent」か、という分別で世界の主な宗教を分類し、各々への科学者のコメントを紹介し、「科学リテラシーと葛藤しない宗教リテラシー」を提案しました。

3時間ほど講義をし、残りの40分ほどは質疑応答に充てたのですが、とてもよい質問が多く出ました。また、次回セミナーでのテーマ要望もいくつか頂いたので、今から準備を始めるぜ、と約束して松山空港へ向かい、そのまま羽田空港→KL空港とスムーズに移動しました。

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