日本仏教心理学会の「リレーエッセイ」
依頼がありましたので、公式サイトの「リレーエッセイ」に書かせてもらいました。タイトルは【「プラグマティック」のすすめ ~ 仏教心理学は「使え」ますか?】
本文にも書いてますが、別に薄っぺらく「シャバで使えないものは、ダメ」と言いたい訳ではなく、私も大好きな仏教なんですが、「何となく偉く思ってもらえてると思ったら大間違い」という当然の視点を、仏教学や仏教心理学をやってる人は忘れてはいかんよね、という問いかけです。元々仏教は、古代インドにおいて、えぐいほど「プラグマティズム」だったのですから。
2600年前に釈尊がされたと言われる「対機説法」ですが、プラグマティズムの塊ですよね。説く先の対象によって、「機に対して(応じて)」スタイルを大きく変えたと伝えられます。そこには相手を慮る慈悲の精神と、融通無碍に内容を組み替えることのできる対話の才がありました。
今だからこそ、なおさら、この視点は重要ですよね。皆が「昔から伝わってきたものだから…」と無条件で信頼を寄せてくれるとは限らない世の中です。
また、これはよく、「現世は諦めた、どうでもよい。来世がある…!」みたいなことを嘯く「宗教人っぽく振舞ってる」人に言うのですが、「現世でどうにもならん人は、輪廻した先でもどうにもなりませんよ」と。
シャバでの苦しみを、神仏や宿命のせいにせず、「一切皆苦だぜ」とこの身に引き受けて、法の下に涅槃寂静を目指す姿が仏教の徒でしょう。その精進があるからこそ、生死(しょうじ)を超えた「その先」があるんですから。Pragmatismとしての仏教を今一度!