x.y.z coaching代表
Dr. Noriです
認知科学の博士号を持ち、四半世紀の起業経験と共に国外の大学医学部に勤務する、海外経験豊かなコーチです。
さて、ここで専任コーチの紹介です。「専門知識を持つ科学者」なことを示すためイカツイ経歴が並びますが、ご了承ください。学者としての所属は、アジアトップ研究大学の1つ(リンク)、Universiti Malaya/マレーシア国立マラヤ大学医学部デジタルヘルス・イノベーション教室の准教授(2021年12月~)。X世代に当たります。
1997年米国カリフォルニア大学バークレー校心理学部卒。在学中にアメリカ人の親友と共に起業して以来、25年に渡る米国と日本での起業家経験を持ちます。その後、「おっさん院生」として若者の中に混ざりつつ、2011年に東工大大学院社会理工学研究科修了、博士号(学術)。職歴は、カリフォルニア大バークレー校心理学部(意思決定科学ラボ助手)、有限会社RDシステムズジャパン(創業者/取締役)、英国シェフィールド大医学部(客員研究員)、東京大医学部および慶應義塾大医学部(共に専任助教)。
現在の職場での専門は、ヘルスケアでのイノベーションと医療ビックデータです(博士号をとった専門分野は意思決定科学と認知科学なんですが)。一応まとも(?)な学者の証拠として、ここに学術サイトのリンクを張っておきます。
博士号取得後は、東京大学医学部研究科医療品質評価学講座(2015年9月~2022年3月)、慶應義塾大学医学部・殿町タウンキャンパスでアントレプレナー・グローバル・イノベーター育成に尽力後、2020年10月に退職しました。
その数年前に、親友の医学部教授に誘われていたマレーシアの新天地へいざ…!と思ったら、コロナにより入国を阻まれるという予想外の事態に!このピンチに「むしろチャンス!」(なぜ?)と開き直るのがポジティブ変態の習性で、コロナの影響が最小限だった香川県に家族もろとも移住。「転んでもただでは起きぬ」をさらに進めた、「何かを拾うためにあえて転んだ」は私の座右の銘の一つで、よく「レジリエンスの塊」と呼ばれます。
2人のせがれはこの決定に驚きつつも、「またかよ…」「変態だし止むを得ん」と諦観をにじませていました。立派に育っていてパパは嬉しいです。
「コロナこもり」をした香川県多度津では、四国別格札所にして「弘法大師出化初因縁」の古刹、海岸寺で現住職(当時副住職)の暖大阿闍梨のご好意にて1年1か月間も家族で逗留させて頂きました。
15歳からの憧れであった弘法大師空海さんの存在感をそこかしこに感じつつ、毎週多くの修法に参座させて頂き、ご住職と真言密教(20代まではガチで真言密教僧にもなりたかったのです)や現代科学との接点について何十時間も議論ができたことは人生の宝物です。
よい機会だったので、彼と信者さんと一緒に、四国八十八か所巡礼(お遍路)も結願しました(御朱印帳も宝物です)。
滞在中は、ご恩返しとして大師堂や会館などで30を超える(!)講演会やセミナーを実施し、多くのご近所さんと仲良くなれました。四国新聞でも大きな記事になったなあ。写真は、大師堂での講演会の様子。空海さんがお生まれになった産屋跡に建てられており、幽玄な雰囲気が漂います。
その後、無事にマレーシアへ入国でき、移住ライフを開始しました。今ではマレーシアのスバンジャヤ市、多度津町、川崎市の多拠点生活を送っています。
日本へは年に4回ほど帰国し、できるだけ多くのセミナーを開催しています。香川時代にセミナーで知り合えた多くの経営者の皆さんから請われ、「引き続きつながる」目的で2022年からオンラインサロン事業も展開中です。そして、2023年から満を持してコーチングサービス事業を開始しました。
このように、想定外の不安の真っただ中で、家族がいるのにいきなり「住所不定無職」オヤジになろうとも、レジリエンスを発揮しポジティブに地力を発揮できます。やろうと思えば。でも、普通は「もう無理!「もうだめだ…」「絶対にできない」と諦めます。
この化物じみたハイパー自己肯定感と成功者マインドセットを耕し、「強運」すらも味方に付けるにはどうすればいいのか?x.y.z. coachingのトレーニングで確かめてみてください。
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なぜ私はコーチングを行うのか?
素晴らしい質問です。一言でいえば、私の18歳以来の人生ミッションを実現するためです。
それは、「多彩な智慧と知識とを、世界をまたいで多様なコミュニティで教えることのできる善智識になる」というもの。「善智識」は元来は仏教用語ですが、「コトバンク」によれば、「自分のことをよく知って教え導き行動を共にする人」ぐらいの意味でしょう。
プラス、米国留学時代に優秀な大学の同級生や先生方から感化された「ノブレスオブリュージュ」の実践です。コトバンクでは、「身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという考え」との説明が。
無論、私はべつに身分の高い者でも、仰がれる善智識でもないですが、それなりの「知恵」や「体験」を広く伝えることで、社会に貢献できると思って生きています。
このミッションの具現化は35歳を超えて意識し始めて、42歳を過ぎて環境が手に入り、本格的に行動へ移します。それが、住居を活用した二子新地(川崎市)でのコミュニティ活動「おとなの寺子屋」でした。
川崎市の福田市長に来てもらったり、TVや新聞の取材も結構あった5年間の活動後、香川への移住に伴って「おとなの寺子屋in香川」を開始。1年間、ここでも多くの皆さんに集まってもらえました。マレーシアに移住した今もなお、LINEグループには50名のコアファンが登録してくれており、情報共有をしています。
ただし、7年間の活動の中で次なる課題に気づかされました。それが、実際にゴールが設定され、よりパーソナライズされた1対1やグループでのコーチングでした。「通常では手に入りにくい科学的・実践的な知識やグローバルな体験を濃く伝えて、グローバルエリートを育てる」と決めたときは、50歳になっていました。
まだ地上での時間があと30-40年あります。ここから本格的にギアを上げていきます。